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[9930] June/水無月 Name:事務局 Date:2022-06-01 06:19:39 [ 返信 ]
<6月の情報>
・誕生石(象徴)     パール(健康)
・誕生花(花言葉)    バラ(愛情)
・青果     トマト、びわ、新しょうが
・旬魚     あゆ、すずき、しじみ
<誕生月の会員>
☆市川創史 ☆小路瑛
 
 4月1日、GMOの監督に亀鷹律良氏が就任した。選手時代を含め華麗な履歴の持ち主である。1962年生まれの亀鷹氏は高卒で実業団の強豪旭化成に入社、1986年12月当時伊勢市で行われていた全日本実業団駅伝の1区12.1kmで区間賞を獲得、1990年元旦群馬で行われたニューイャー駅伝では4区10.3kmでも区間賞を獲得している。当時エスビー食品と日本の長距離界を牽引した強豪チームのエース的存在であった。

 しかし、亀鷹氏の凄いのは選手を退いた後の足跡である。1991年芙蓉、1997年トヨタ紡織、2012年NTN、2018キャノンアスリート、2019年中央発條とまるで軽業師のごとく実業団チームを渡り歩いた日本では珍しいプロの監督である。

 選手として活躍していた亀鷹氏と同年代、私も実業団の世界に身を置いていたので接点はないものかと調べてみた。その当時、毎年12月の第3日曜日、伊勢の神宮下宮から賢島を折り返すコースで行われていた全日本実業団駅伝が1988年からニューイャー駅伝と大会名が新しくなり、元旦に前橋市で開催されることになった。その記念すべき駅伝に亀鷹氏は旭化成のエース、私はNTT関西(現在NT西日本)の監督として出場した大会が唯一みつかった。亀鷹氏は1区を走り区間7位、旭化成は総合3位であった。私のチームは総合26位でブービーだった。当時亀鷹氏は24、5歳で最も勢いのある時期で、私は34歳と監督1年目の駆け出し時期で34年も前のことである。

 1979年、黒澤明監督の映画「影武者」のロケ中に監督と主役の勝新太郎が衝突し突然勝新太郎が降板する主役交代事件があった。新監督の亀鷹氏とEKIDENダイレクターとややこしい立場の役職に就いた原晋氏。同じ組織の中で2人の天才がどう折り合って仕事をしていくか興味深く眺めている。



 

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